ショックを受けた80年代の香港 その1

1980年代後半、会社の関係ではじめて香港に住むことになったとき、正直言って香港に対してあまり良いイメージを持ってなかった。まだ香港ブームが起こる前である。犯罪都市?九龍城(でもなんで日本人はクーロンジョウと発音するのだろうか?マンダリンでも広東語でもまして日本語でもない)映画で唯一見た のは Mr.Booシリーズ!。確かに許冠傑:サミュエル・ホイが映画の中で歌ってて、ほのぼのして好きなのだ。

(そういえば次男の許冠英:リッキー・ホイが最近死去した。ご冥福をお祈りいたします。)

が・・・。なかなか良い くらいのかんじで・・・。
映画・音楽等の文化的レベルも低いのだろうと・・・。

そういう偏見を持っていたため、初めて映画・音楽に触れたとき、大変大きな衝撃を受けた。日本と同じどころかある意味日本の数倍優れていたのだ。!
映画監督徐克:ツイ・ハークの凄さ。今でこそハリウッドスターである周 潤發:チョン・ユンファーなどもそのとき初めて知った。香港映画はジャッキーチェーンだけじゃなかった。そして映画を見る方や音楽を聴く方のレベルも高かった。

80年代後半に上映された、ヤングジャンプ連載のマンガをアニメ化し香港と共同制作されたある映画。日本では香港でも評価が高いと信じられてる が・・・。なんと1週間で打ち切り映画館続出。当時の映画の入場料は数百円程度と大変安かった。で、逆にくだらない映画は時間の無駄と判断したのか・・・ 映画の途中でぱらぱらと・・・帰る人が・・・。
特に脚本の陳腐さにあきれ返ってたところへとどめの、その日本人と中国人の主人公の2人が兄弟といったくだりで・・・ついに・・・。なんと、観客の2/3以上が、帰ってしまったのだ。

当時の香港映画は名作も駄作も同じ値段。凄い名作も凄い駄作もある。元々香港は両極端である。中途半端があまりなかった。で、どうしてもそれまで日本では駄作に脚光があたりやすく、自分自身もへんな偏見を持っていたのだ。

音楽はいかにも歌謡曲路線で、日本のヒット曲のカバーが多かった。それは、譚 詠麟:アラン・タムが日本のヒット曲をカバーし、絶大な人気を誇ったことも関係ある。
香港では安全地帯等人気があったが、当時サザンオールスターズはまだ知られていなかった。
日本では香港人気グループ、ウイナーズ解散後、ソロとして人気復活に成功したそのアラン・タムが人気を呼び、紅白歌合戦まで出てしまった。しかし、すでに香港で彼は大御所で人気のピークを過ぎており、そのときすでに彼に続く歌手がでていた。 →「ショックを受けた80年代の香港 その1」の続きを読む