ショックを受けた80年代の香港 その3(万華鏡)

Pocket

ひさびさ、自分が経験した80年代香港のお話。

80年代といえば、洋楽ではミュージックPVの全盛期。以前書いた通り、私自身、60年代、70年代の洋楽が好きだと公言したが、80年代の洋楽も好きで、この頃の数々のミュージックPVにもハマっていた。しかも元10CCだったゴドレイ&クレームのコンビが、ハイセンスでクオリティの高い数々のミュージックPVを制作していたりした。

その頃香港は、まだ英国の統治下だったわけで、そのせいもあり、主に英国系の洋楽ビデオを大量に売っている店が結構あった。日本では、その類のビデオがその当時では1本1万円くらいはしたものだったが、なんと日本円に直すと、たった数千円で売っていて、しかも、日本では見たことのない貴重な洋楽ビデオまであったので、自分にとってはそこはまさにパラダイス。暇さえあれば、それらの店に入り浸って、洋楽のビデオを漁っていた。

特に、今まで日本では見たことがなかった60年代や70年代のブリティッシュロックのヒストリー物は衝撃で、実際にステージで演奏している姿や、その舞台裏など、あの当時こんなだったのかと感銘を受けたものだった。

なので環境的に音楽に関して、いたるところに英国の影があったわけで、それが香港の音楽界を牽引したものの一つだったわけだ。ただ80年代には、日本のカバー曲がブームでよく安全地帯などの曲がカバーされた。そう言えばその当時、多分その時の香港の知名度の問題かと思うが、なぜサザンオールスターズがカバーされないのか不思議だったのだが、台湾から広まって、ようやく90年代になって「真夏の果実」が張 学友(ジャッキー・チュン)よってカバーされ、これが大変な世界的大ヒットとなってしまった。

で、80年代に、譚 詠麟(アラン・タム)などが、数多くの日本の曲をカバーしたりしたのだが(1989年には日本の紅白歌合戦にも出場した)、その譚 詠麟自体、元々、温拿樂隊(The Wynners:ウイナーズ)として、数々の洋楽をカバーしていたのだ。よくよく考えれば、アグネス・チャンも日本デビューする前は香港で、やはりサークルゲームなど、数々の洋楽をカバーしていたわけで、70年代から80年代にかけ、西洋のものや東洋のものがうまい具合に融合し、映画・音楽環境においては、ある意味、香港の黄金時代が出来上がった感がある。だから彼らの映画や音楽を楽しむ目や耳は肥えていたのだ。そして俳優もそうだ。

2年ほど前に日本でも上映された映画で、サモ・ハン・キンポー主演の「おじいちゃんはデブゴン」という映画(中国・香港)がある。香港映画黄金期でおなじみの豪華なゲスト出演陣なども話題を呼んだが、その映画のラストに“Reflections of my life”という曲が、挿入曲として使われた。

この曲は、スコットランド出身の5人組、マーマレードというグループの1969年の作品で、このグループ自体、ビートルズのオブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダをカバーヒットさせたことで有名なのだが、この曲は、彼らのオリジナルで英国だけではなく、全米でもベスト10入りし、日本では、「万華鏡」という邦題で、リリースされている。そして実はこの曲、あの温拿樂隊(The Wynners:ウイナーズ)もカバーして、彼らの代表曲の一つとなっている。

この曲の歌詞は、実は、CCRの「雨を見たかい(Have you ever seen the rain)」のように、ベトナム戦争を扱った歌詞で、曲調に反して決して明るくない。こんなとんでもないところ(このオリジナルの曲の場合、戦場?)から、“Take me back to my own home”ということだ。”home” ではなく ”my home”でもなく、”my own home”だ。
その映画はもちろん、ゲストも含めて出演者達の”my own home”は本当はどこだろうと考えると、この映画の別の思いが見えてくる。
しかし、劉 徳華など、出演者は本当に適役というか、まるでその人達の人生をどこか描写してる気もする(映画製作もギャンブルみたいなものだし)。

最近、“Take me back to my own home”と、マーマレードのその“Reflections of my life(万華鏡)”をやたる口ずさむ。そう言えば、週末の香港名物、旺角(モンコック)の歩行者天国も本日、18年の歴史に幕を閉じる・・・

YouTube Preview Image

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です